アイク生原の妻は作家!息子は2人で医師と野球人?孫はサーフィン選手!

こんにちは。

【奇跡体験!アンビリバボー】に、日米野球の懸け橋として活躍されたアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんが登場します。

日本ではほとんど名前が知られていませんでしたが、大谷翔平選手の入団会見でドジャースのフリードマン編成本部長がその名を挙げたことで一躍注目を集めました。

今回は、そんなアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族についてまとめました。

また、55歳という早すぎる死の死因についても調べてみました。

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アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族

さっそくアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族について見ていきましょう!

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの妻(嫁)は、作家の生原喜美子さんです。

2人が結婚した年は公表されていませんが、喜美子さんとアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは31年連れ添ったそうです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんが亡くなったのは1992年なので、1961年に結婚されたのではないでしょうか。

2人の馴れ初めなどについての情報は見つかりませんでした。

ただ、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんが渡米したのは1965年です。

ということは喜美子さんとは日本で出会い、結婚してから渡米したということになります。

当時アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは日本で亜細亜大学硬式野球部監督を務めていて、東都大学リーグ3部から1部に昇格させるなどの実績もありました。

にもかかわらず野球を探求するためにアメリカに渡り、ロサンゼルスドジャースのマイナーチームの用具係になっるには、妻(嫁)である喜美子さんの協力が必須です。

喜美子さんが当時から作家をしていたのかは分かりませんでしたが、夫の仕事のために日本を離れることを受け入れるとは、夫の仕事を尊重し、理解があったのでしょうね。

 

息子

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの息子は、2人はいると思われます。

医療従事者?

1人は医師または医療従事者と思われます。

東日本大震災の時、「母国・日本の力になりたい」と医療チームとして来日したそうです。

 

経歴を見ると、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは渡米後、ほとんど帰国していないと思われます。

息子もおそらくアメリカの学校に通い、ずっとアメリカで生活していたのでしょう。

普通は「母国日本」という言葉は出てこないような気がします。

きっと、父親と日本プロ野球との関わりなどをずっと見てきて、両親の祖国である日本への想いが強くなっていったのではないでしょうか。

 

ドジャース球団のスタッフ

もう1人の息子は、ドジャース球団のスタッフだそうです。

 

なんと、野茂英雄さんのスカウトにも関わった方だそうですよ。

父親であるアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの志を継いでいるんですね!

 

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんには、興梠サラさんという孫がいることが分かっています。

POD Media より

名前: 興梠サラ(こおろぎ さら)
生年月日: 1996年10月21日
出身地: アメリカ、カリフォルニア州
学歴: カリフォルニア大学バークレー校
勤務先: 旭食品海外事業本部

父親はドジャース球団のスタッフ、母親はアメリカ人女性だそうです。

父親の影響からで子供の頃は野球少女でしたが、11歳でゴルフを始めます。

が、14歳の時に脊柱側湾症(背骨が曲がっている病気)であることが分かりました。

そのため、体を大きくひねる野球やゴルフなどのスポーツを続けることができず、サーフィンを始めたそうです。

 

サラさんは大学卒業までアメリカに住み、宮崎県で半年過ごしたあと、就職を機に高知県高知市に移住しました。

アメリカ市場の開拓を考えていた旭食品からビジネスの能力を買われたとのことなので、大学では経済などを専攻していたのかもしれませんね。

会社からのサポートもあり、現在はロサンゼルスオリンピックに出場することを目標に頑張っているそうです。

 

サラさんは、サーフィンとビジネスを通じて日本とアメリカの懸け橋になりたいと語っています。

祖父、息子、そして孫のサラさんと3代に渡って日米の懸け橋となっている生原家。

ロサンゼルスオリンピックでは代表選手に名前があるといいですね!

 

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんのプロフィール

最後に、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんのプロフィールをご紹介します。

名前: 生原 昭宏(いくはら あきひろ)
生年月日: 1937年1月20日
没年月日: 1992年10月26日(55歳)
出身地: 福岡県田川郡香春町

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは、福岡県立田川高校と早稲田大学を卒業されたのち、亜細亜大学野球部監督になりました。

上でご紹介したように東都大学リーグ3部から1部に昇格させましたが、自身の指導法に疑問を抱き、野球を探求するためにアメリカに渡ります。

そしてこれらの功績を残しました。

  • 日本プロ野球チームのアメリカでのキャンプ実現
  • 日米大学野球開催
  • 中国・ソビエト連邦など野球の国際的普及
  • 日本プロ野球から送られてくる野球留学生の面倒を見る
  • 野球のオリンピック正式競技採用に貢献 など

 

早すぎる死…死因は?

1992年6月、長嶋一茂さんの指導中に腹部の異常を感じ、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは入院します。

6月には日本で、アメリカに戻ってから8月にも手術を受けますが、10月26日に亡くなったそうです。

死因は胃がんとのことです。

胃がんは初期だと自覚症状がないことも多いようですが、進行すると食欲不振・胸やけ・吐き気・背中や胸の痛み・倦怠感などの症状が出て、末期になると胃での消化や胃からの栄養吸収が困難になったり腹水がたまって腹部膨満感や浮腫、排尿障害なども起こるそうです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの死因について詳しいことは公表されていないようですが、6月に不調を感じてからたった4ヶ月というのは、あまりにも早いですよね。

医学は素人ですが、普通の胃がんであればそこまで進行する前に何らかの症状が出て、気づくような気がします。

もしかしたら、スキルス胃がんだったのかもしれませんね。

進行が早く発見が困難なスキルス胃がんについては、こちらに詳しくまとめてあります。

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複数の有名人もスキルス胃がんで命を落としているようです。

 

まとめ

今回は、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族について調べてみました。

  • アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの妻(嫁)は作家の生原喜美子さん
  • 日本で結婚し、夫婦で渡米したと思われる
  • 息子は少なくとも2人いると思われ、1人は東日本大震災時に医療チームとして来日。もう1人はドジャース球団のスタッフで野茂英雄さんのスカウトにも関わった
  • ドジャース球団のスタッフの息子の子供(アイク生原さんの孫)は興梠サラさんというサーフィン選手

あまりにも早すぎる死。

でも、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの想いは子供や孫の世代に受け継がれているようです。