林家木久扇商売の才能と笑点出演のきっかけ。孫(林家コタ)が最年少真打になる可能性は?

【徹子の部屋】に林家木久扇さんが出演されます。

2度のガン、大腿骨骨折という危機を超えて笑点に復帰された木久扇さんですが、2024年3月に卒業されるそうです。

今回は、木久扇さんが笑点に出演するようになったきっかけと、8歳で高座デビューした孫の寿太郎君(林家コタ)が最年少真打になる可能性について調べてみました。


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林家木久扇さんのプロフィール

本名: 豊田 洋(とよた ひろし)
生年月日: 1937年10月19日
出身地: 東京都日本橋
師匠: 三代目桂三木助、林家彦六
所属: 落語協会、トヨタアート(マネジメント)
趣味: イラスト・錦絵、時代劇映画鑑賞、ラーメン食べ歩き、俳句(俳号とよ田三茶)、剣道
公式サイト: 林家木久扇公式サイト
(Wikipedia より)


小学2年生で終戦を迎えたそうです。

実家は日本橋久松町の雑貨の卸問屋で、4人兄弟の長男だったそうです。

が、東京大空襲で店が焼け落ち、さらに敗戦を迎え、生活が厳しくなって両親が離婚します。

木久扇さんは母親と暮らすことになりました。

Sola
こういう体験をされていることもあり、笑点では時々世界平和についての回答をされています。
また、毒蝮三太夫さんとの対談でも
「本音を言うと、戦争の時の話は嫌なんです。でも、話しておいた方がいいのかなとは思ってます」
ともおっしゃっています。

子どもの頃から商売上手

木久扇さんといえばが木久蔵ラーメンが有名ですが、実は子供のころから商売上手だったようです。


小学生の時、映画好きだったもののお金がなく映画館に入れない。

なんとかして映画を見る方法はないか考え、映画館でアイスキャンディーの売り子を始めたそうです。

それも、普通のアルバイトではなく

近所の顔馴染みの店からアイスを仕入れて、映画館の中で売らせてもらう交渉をしましてね。
小学生の僕が、ただで映画を観るために考えた初めての商売です(笑)。
(サライ.jp)

もともとそこの映画館でアイスキャンディーを売っていたわけではなく!

自分で考え、自分で仕入れて、映画館とも交渉して。

これを小学生でやったというのだから、驚きです。


さらに

高校生になると映画演劇部というのをつくりましてね。
中野や新宿の映画館に交渉して、僕ら中野工業高校の映画演劇部は無料、同じ高校の生徒は割引してもらえるようにしました。
中野公会堂の演劇鑑賞も無料で行けるように交渉したんです。
その活動は当時、新聞でも取り上げられました。
(サライ.jp)

アイディアもですが、実際に行動する行動力もすごいですよね。

新聞で取り上げられるのも納得です。


実家が卸問屋だったため、商売に違和感がなかったということもあると思いますが、

自分のニーズと人のニーズが一致する部分を見つける

それを実現する方法のアイディア

実際に行動する

この3点セットが揃っていないと、人間って動けないと思います。

特に、相手を自分の期待通りに動かすためには相手のニーズを満たす必要があるので、1つめはとても大切ですよね。

そこを見つけられるのは、木久扇さんの観察力なのでしょうか?

林家木久扇さんが笑点に出演したきっかけは?

木久扇さんの仕事の変遷

高校卒業後、森永乳業に就職
戦時中の食糧事情の悪さの体験から、食べ物の傍にいる必要があると思ったため。
勤務先の新宿の牛乳工場が寒く、3か月で退職。

漫画家清水崑に弟子入り、プロデビュー
出版社に就職した友人から漫画家の原稿料について聞き、「お前も漫画がうまいんだから」とその友人の出版社の社長が清水崑氏に推薦してくれたそう。
チャンバラ好きだったため、映画のマネをしながら漫画を描いていたところ、清水崑氏が「お前は面白いやつだなー。落語やってみたらどうだい?」と、三代目桂三木助師匠に紹介状を書いてくれたとのこと。

落語界へ
落語のことはあまりよく知らず、軽い気持ちで三代目桂三木助師匠の門下になったそうですが、三木助師匠が亡くなった後は八代目林家正蔵(彦六)門下になり、林家木久蔵の名前になる。


落語界に入ったきっかけがチャンバラ映画の真似をしながら漫画を描いていたことだったとは!

ここで、小学生の時のアイスキャンディー売りの経験が活きたわけですね。

アイスキャンデーは上映が終わると売りますから、その前に中へ入って待っていました。
僕が昔のスターたちの声色が得意なのは、映画のラストシーンを繰り返し観てたから。
そのとき憶えた声色がずっと役に立っています。
(サライ.jp)

人間、何が幸いするか分かりませんね。

本当に無駄な経験はないというか…。


笑点出演のきっかけ

笑点への初出演は、1967年10月の若手大喜利だそうです。

メンバーとして出演するようになったのは、1969年11月からだそうです。


笑点のメンバーになったきっかけは、初代司会者の七代目立川談志師匠だそうです。

談志さんは、木久扇さんのことを「よく気が利くやつだ」と思っていたそうです。

立川談志さんと会ったのは寄席の楽屋です。
気難しい感じの人で、「こんな暑い日に客を笑わせなきゃいけないなんて変な商売だな」ってよくブツブツ言ってましたね(笑い)。
ある時、楽屋で「風呂でも行くか」とつぶやいているのが聞こえて、僕は自分の石けんと手ぬぐい、ひげ剃りをサッと手渡したんです。
そうしたら「お前さんは気が利くねー」って気に入られて、それが「笑点」に出るきっかけになりました。
(AERAdot.)


また、談志さんは大喜利を「落語の世界の長屋」に見立てて、司会者や各メンバーにそれぞれ役を振ったそうです。

木久扇さんは「与太郎」。

落語の登場人物で、呑気で楽天的、ぼんやり者で何をやっても失敗ばかりする性格です。

与太郎のおかげで木久扇さんの「愛されるおバカキャラ」のイメージが定着したということです。



このエピソードも、木久扇さんが周りの人のニーズをつかむ観察力や気遣い・愛される人柄があったからですよね。

漫画家になったことも、落語界に入ったことも、人から人への橋渡しによって、木久扇さんの世界は開いてきたようです。


孫の寿太郎君(林家コタ)について

木久扇さんには、お姉ちゃんのクミちゃん・弟の寿太郎君の2人の孫がいます。

寿太郎君は、木久扇さんの12番目の弟子。

「林家コタ」という名前で落語家デビューしています。



コタ君は、笑点での木久扇さんの姿をかっこいいと思い、落語家になりたいと思ったようです。

が、もともと見ていたのは笑点。

実際の落語は大喜利と違って1人で長く話すので、おじいちゃんの木久扇さんが稽古しているところを見て驚いたとか。

落語のように「面白い噺をして人を喜ばせるのは素敵なことだ」と思っているとか。


また、11歳の時には木久扇さんの弟子が玄関で履物をそろえたり、お茶を入れたりする姿を真似ていたそうで、

途中でお茶の葉をかえたり、玄関に行けば履物をそろえて、靴べらを持って待っていてくれる。
(木久扇さんを)まるで神様扱いなんですよ。
(サンスポ)

Sola

かわいいですね♡
こんな姿を見たら、おじいちゃん溶けちゃいますよね。

木久扇さんによると、コタ君は口跡がはっきりしていて噺家向き

記憶力もよくて、すぐに話を憶えてしまうそうです。

歌舞伎座の「歌舞伎アカデミー こども歌舞伎スクール 寺子屋」に通って(2018年)、歌舞伎の所作・礼儀作法・鼓や三味線などを一流の師匠から学んだそうです。

そのおかげで、稽古中は木久扇さんが座布団に座り、コタ君は板の間に座り、前に扇子を置いて

「お願いします」

と頭を下げたり。

稽古中の質問も「よろしいですか」と丁寧に聞いたりと、礼儀正しいお子さんだそうです。


ちなみに、木久扇さんの指導方法は「褒めて育てる」。

幼いころ自分が描いた絵を祖母に見せたところ褒められ、嬉しくて体が火照った経験から、祖母心を師匠の指針にしているそうです。

弟子の講座の出来を叱ったことはなく、ほめて育てて、コタ君含め12人の弟子のうち4人がトリを務めるまでになったとか。

林家コタ君が戦後最年少真打になる可能性は?

そんなコタ君ですが、高座デビューは2015年5月。

日本橋公会堂で行った二代目木久蔵の噺家生活20周年の会で、小咄を披露したそうです。


落語家としてのデビューは、2016年10月23日の「爆笑寄席 てやん亭 2016秋スペシャル」。

この時コタ君はなんと8歳

2~3分の小咄ではなく、約7分の落語を熱演したそうです。


ということで、コタ君の高座デビューは最年少なのではないか?と思い調べたところ…

『第12回ワッハ上方アマチュア演芸コンテスト』で大賞に輝いた7歳の落語家・KOHARU亭けいじろう君という子がいるとか!!

けいじろう君は「桂枝雀2世」とも言われているそうで、なんか世の中にはすごい子がいるものなんですね…。


では、最年少真打を調べたところ、戦後最年少記録は22歳で真打になった柳家花緑(やなぎやかろく)さんだそうです。

花緑さんが初めて高座に上がったのは9歳の時。

ということは、コタ君の方が早い!!!

これは、今後もしかしたら記録更新なるのかも!?



以下、Solaの私見です(^^;

落語に限らず歌舞伎でも能でも、伝統芸能に血筋要素が強いのは、伝統芸能DNA的なものがあるわけではないと思うんです(知らんけど)。

その一門(一族?)に生まれたら、子供のころから当たり前のように見たり聞いたりしますよね。

赤ちゃんが言葉を覚えるのと一緒で、自然に体に染み込むのではないでしょうか。

だから、その一門に生まれる=すごいアドバンテージ

デザイナー家系とか芸術家家系とかも、そうですよね。

子供のころからいいものに触れているから、目が肥えるし審美眼も磨きやすいはず。


コタ君の場合、カッコよくて神様のようなおじいちゃんみたいになりたくて仕方ないのだから、やる気も加わって無敵状態です。

記録更新の可能性はかなり高いのでは?と思います。

まとめ

2024年に焦点を卒業される林家木久扇さんについて、笑点メンバーになったきっかけを調べてみました。

また、孫の寿太郎君(林家コタ)が最年少真打になる可能性について調べてみました。


木久扇さんが笑点メンバーになったのは、初代司会者の七代目立川談志師匠が推薦したからだそうです。
木久扇さんの相手のニーズをくみ取る能力=気が利くところが気に入ったからのようです。

また、談志さんのおかげで、木久扇さんの愛される「おバカキャラ」が出来あがったとか。


コタ君は、木久扇さんから見て噺家向き。

また、とても礼儀正しくて、かわいいお子さんのようです。

木久扇さんを尊敬していて、稽古も一生懸命のようなので、最年少記録更新の可能性も高いのではないかと思いました。

楽しみですね!