「踊る!さんま御殿」にフィギュアスケートの高橋大輔選手が出演します。
美しいステップと表現力で日本のエースだった高橋選手ですが、「ガラスのハート」「ガラスのエース」と言われたようにメンタルの弱さを指摘されたこともありました。
高橋選手のメンタルが弱いと言われた理由は?
また、どうやって克服されたのか?を、調べてみました。
高橋選手が好きな方、メンタルの弱さをどうにかしたい方、最後まで読んでみてくださいね。
“かなだい” #村元哉中 ・ #高橋大輔 組、そろって競技引退 アイスショーなどで“カップル”は継続 #フィギュアスケート #figureskating https://t.co/0Ty0sGoZ9J pic.twitter.com/WjnpGmCji4
— スポーツ報知 ICELINK (@figure_hochi) May 1, 2023
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高橋選手のプロフィール
生年月日:1986年3月16日
出身地: 岡山県倉敷市
身長: 165cm
体重: 60kg
血液型:A型
主な戦績:
2001年 全日本ジュニア選手権 優勝
2002年 世界ジュニア選手権 優勝(日本男子として初)
2006年 トリノオリンピック 8位入賞
2010年 バンクーバーオリンピック 銅メダル
2008、2011年 四大陸選手権 優勝
2005~20074、2009、2011年 世界選手権 優勝
2012年 グランプリファイナル 優勝
2012年 世界国別対抗戦 団体優勝
2019年 デニステンメモリアルチャレンジ 優勝 など
オリコン「好きなスポーツ選手ランキング」男性部門で、2010年から5年連続でトップ10入り
(Wikipedia)
9歳の時、家の近くのスケートリンクでフィギュアスケートを始めました。
家族全員で高橋選手を応援、また地元の商店街でも融資の募金箱(通称大輔ボトル)を設置し、カンパを受けるなど、みんなに愛されて育ちました。
自身もお年玉をすべてスケート代に充てるなど、ひたむきに努力したようです。
「クリクリとした目の可愛らしい子でしたね。まだ大輔君がスケートを始めた20年前は、男子はマイナーな競技だったからこそ、ひどい点数を取っても『よーし、今度こそ頑張ったら先生、ごちそうしてくれる?』などと言いながら、楽しんでスケートを頑張った地元での10年でした」
(Sports navi)
日本フィギュア界の男子シングルのエースとして活躍し、2014年ソチオリンピック後に引退。
2018年に日本人男子スケーターとしては過去最年長記録で現役復帰し、2020年にアイスダンスに転向、2023年に引退。
今の日本のフィギュアスケート人気を作り上げた1人と言っても過言ではありません。
高いスケーティング技術を生かした世界一と呼ばれるステップと、海外の解説者らからダンサーのようと賞讃された柔軟で切れのある情感豊かな表現力(ヒップホップからマンボ、ブルースまで巧みに表現できる音楽的感性)を持ち味としていた。荒川静香は髙橋について「感性の高さで群を抜いており、どんなプログラムでも自分の世界で表現できる」「一緒に滑っていて、自分が哀しくなってくるほど才能がある」と評していた。
ジャンプではトリプルアクセル、3回転フリップ、3回転ルッツを得意としていた。 また2005年頃からトウループジャンプ等の4回転ジャンプに取り組んだ。2011年のNHK杯公式練習では4回転フリップを試みたが、試合での認定には至っていない。2010年バンクーバーオリンピックでは、共に4回転ジャンプに挑んだ志の高さからエフゲニー・プルシェンコに「You are my hero.」と讃えられ固い握手を交わされた。
(Wikipedia)
高橋選手は、日本人男子初のオリンピックメダリストであり、日本人男子として初めて世界選手権・世界ジュニア選手権・グランプリファイナルを制しました。
上にあるように才能にもあふれていたし、これだけ成績を残しているのに、なぜガラスのハートと言われたのでしょうか?
ガラスのハートと言われた理由
ガラスのハートエピソードあれこれ
子供の時から性格的に弱く、心配した両親が少林寺拳法・野球・アイスホッケーなどのいろいろなスポーツをやらせたものの、痛いことや怖いことが嫌いで長続きしなかったそうです。
高橋選手の母親やコーチは高橋選手のことを「気を遣う、心の優しい子」と言います。
また本人も
(日刊大衆)
大学生になった高橋は、心機一転、眉毛を細くし、髪にエクステをつけるなど精一杯の“大学デビュー”を試みたが、内向的すぎる性格は変えられなかったようで、大学での友達は0人。昼食はいつも一人で公園で食べ、学生が集まる学食で昼食を食べたことはなかったそうだ。
友人ができない理由として「僕が友達って言ったらその子に悪いかな、みたいな。俺といて楽しいのかなっていうのを分かるまで、すごい時間かかる」と語った。
(日刊大衆)
と、シャイで内向的な性格だったこと、ネガティブ思考の学生時代を送っていたことを明かしています。
ただ、この告白に対してネットでは、高橋選手の素顔への好感度が爆上がりしていました。
ただ、天性の才能、センスがある一方で、この性格は世界の強豪と厳しい戦いを繰り広げるには不向きだったようです。
世界ジュニア選手権では日本男子初の優勝を飾ったものの、シニアに上がってからは成績が不安定になってしまいました。
大会本番でミスが相次ぎ、順位を上げることができなくなってしまったんです。
そして、「才能はあるが本番に弱い『ガラスのハート』」と言われるようになってしまいました。
が、長光歌子コーチに出会ったことで変わり始めます。
2005年、長峰コーチとアメリカへ行き、熱血漢であるニコライ・モロゾフコーチの指導を受け、グランプリファイナルで3位を獲ります。
この時、喜ぶ高橋選手に向かってモロゾフコーチは「満足しているのか?」
「もちろん」と答える高橋選手に「世界トップを目指せるのに、こんな順位で満足するな」と叱責したそうです(コーチ曰く、自己評価の低い高橋選手の『脳の手術』)。
2006年トリノオリンピックの自身の目標は「8位入賞」。
実際それは達成したものの、荒川静香選手が獲得した金メダルを首からかけてもらった時
「僕は満足していない! ただ緊張して興奮していたけれど、荒川さんは落ち着いて自然体で、心から五輪を楽しんでいた。次のバンクーバーでは、僕もあんな風に五輪を過ごして、そしてメダルを獲りたい」
その後、自分と深く向き合い、緊張をうまく利用できるようになって、2007年世界選手権フリーでは日本人男子初の銀メダルを獲得します。
ところが、がむしゃらな練習の結果、右ひざ靱帯損傷という大けがを負い、1年の休養をよぎなくされます。
この時も
「手術を受けたのは、ちゃんとリハビリをすれば五輪に間に合うと思ったから。ここで腐ったらダメ。悪いことはたいてい、次に進むために必要なものの場合が多い。きっと怪我は必然なんだ」
と捉え、肉体改造に着手。
効率よくスケートできる肉体に進化したのです。
2010年バンクーバーオリンピックでは、4回転ジャンプ転倒以外は最高の演技で、日本人男子初の銅メダルを獲得しました。
優勝した選手が4回転を回避したことから記者には「回避すれば優勝できたのでは?」と質問されると
「4回転ジャンプは、怪我をする前は出来ました。だから過去の自分に負けてはダメ。アスリートとして理想を追求した結果なので、挑戦した事も、転倒した事も後悔していません。“日本男子初”の五輪メダルを獲れたことを誇りにしたい」
そんな高橋選手の言葉です。
「スポーツって、目標を達成できなくても、試合の時の究極の緊張感や集中を体験するプロセスが次の人生に生きると思う。僕も、何事にも怖がらずに前に進めるようになりました。こうやって真剣に取り組めるモノに出会えた事が幸せです」
「これまでは毎年成績を出そうとしていた。でもそんなに完璧主義にならなくていい。結果的に強くなることが重要だと分かった。以前なら、調子が悪い日は『練習する意味なんてゼロ』と思ってやる気が出なかったけれど、今は、『調子が30%の日は、30%の成果で良い』と考えている。淡々と日々を過ごしたら、もっと充実した練習が出来るようになりました」
「今の僕は、五輪で金を獲ることが目標じゃない。残り2年で自分がどれだけ変化できるかが、僕にとっての『やりきる』ということ。『そこそこ良い感じ』で終わらせたくない」
「怪我をして、五輪のメダルを獲って、現役続行を迷って決めて、今の自分がある。人生に無駄なことはない」
「ジェットコースターのような僕の競技人生にお付き合い頂き、いつでも温かく見守ってくださり、挑戦し続ける強さを与えてくれて、本当に感謝しています」
「緊張している自分を見て、『緊張しているじゃん、めっちゃおもろいやん!』って楽しむことにしました。昔はガラスのハートって言われたんですが、もう通り越して楽しいじゃんって(笑)。」
ちなみに最後の「自分を客観視する」は、心理学的にすごく有効な方法らしいですよ!
メンタル克服のポイント
エピソードから、ポイントを勝手に分析したいと思います。
① 結果をどん欲に求め、自分にはできると思うこと
→モロゾフコーチ、荒川静香さんのエピソードより
➁ 起きてしまったことを嘆くのではなく、その意味を考える
→右ひざ靱帯損傷のエピソード
③ 闘う相手は自分
→バンクーバーオリンピック後の記者会見エピソード
④ 完璧、調子MAXな自分が通常営業ではなく、今の自分にできることをやることが大切
⑤ 周りへの感謝
高橋選手はメンタルが弱かったのか?
ここまで書いてきて、今さらこれ?という感じではありますが。
高橋選手は、本当にメンタルが弱かったのでしょうか?
というのは、もしも本当にメンタルが弱かったら、そもそもトップクラスの選手になれなかったはずだからです。
大きな大会に出場するには、そこまでに成績を残さなければいけません。
たとえば世界選手権ですが、そもそも国別の出場枠すら、前年度大会のその国の上位2名の順位によって出場できる人数が変わります。
その枠を巡る国内の選考基準ですが、ブロック大会 → 東日本選手権/西日本選手権 を勝ち上がった選手が出場できる全日本選手権で優勝すればまず確定。
残りの枠は、全日本選手権の成績・国際スケート連盟の大会の成績・ワールドランキングを総合的に判断して決まるそうです。
そもそも、世界選手権やオリンピックに出るまでの道のりが長い…。
もしも、一般的に言う「メンタルが弱い」レベルだったら、その道のりを越えることすらできないはず。
私たちの「私チキンだから~。みんなの前で発表するとき緊張しちゃうんだよね」とは、次元が違うのではないでしょうか?
つまり、ただメンタルが弱いのではなく
レベルってことだと思います。
まとめ
高橋大輔選手の「メンタルの弱さ」について、エピソードから考察してみました。
もともとの性格が優しい・気を遣う・シャイ・内向的なので、たしかに日本を代表するトップアスリートに要求されるレベルと比べると、少し弱いかも…というところだったようです。
ただ、いろいろなコーチとの出会いや経験を通して、緊張さえ楽しめてしまうくらい、克服されたようです。
引退されてしまったのがとても残念ですが、解説などでのご活躍が楽しみです!