杉野正尭の家族(父母兄)は誰?学歴(中学・小学校・幼稚園)などwiki風プロフ

こんにちは。

パリオリンピック体操男子日本代表の杉野正尭選手。

東京オリンピックでは最後まで代表争いに名を連ねていたものの、0.018点という僅差で代表の切符を逃してしまいました。

その悔しさをバネに3年間闘い続けてつかみ取ったパリオリンピック代表の座。

今回は、そんな杉野正尭選手の学歴(幼稚園・小学校・中学・高校・大学)や、杉野正尭選手を支えた家族(父親・母親・兄)について調べてみました。

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杉野正尭選手のプロフィール

名前: 杉野 正尭(すぎの たかあき)
誕生日: 1998年10月18日
出身地: 三重県津市
身長: 170cm
体重: 60kg
血液型: O型
得意種目: あん馬・鉄棒
所属: 徳洲会体操クラブ(神奈川県、徳洲会スポーツセンターかまくら)

杉野正尭選手の学歴

大学・大学院

杉野選手は、鹿屋体育大学体操競技部と、鹿屋体育大学大学院(2024年3月修士課程修了)出身です。

鹿屋体育大学は、日本唯一の国立体育大学です。

様々な競技でオリンピック選手を輩出している名門校だそうです。

体操だと、パリオリンピック代表選考会のNHK杯決勝18人のうち、3分の1の6人が鹿屋体育大学の学生とOBだったそうです。

Sola
もはや、「体操有力選手になりたかったら鹿屋体育大学に行くべし」って感じですね

杉野選手は徳洲会体操クラブに所属しながら、大学院で体操の「コバチ」と「コールマン」連続離れ技について研究していました。

自分を被験者にした研究だったそうですよ。

【コバチ】
バーを越えながら後方かかえ込み2回宙返り懸垂。
1979年にハンガリーのPéter Kovács(ピーター・コバチ)選手が発表した手放し技。
2回宙返りをするため一度完全に視界からバーが消えるという、危険度の高い大技。D難度。

【コールマン】
バーを越えながら後方かかえ込み2回宙返り1回ひねり懸垂。
コバチに1回ひねりをくわえた派生技で、E難度の手放し技。
1990年にスロベニアのLojze Kolman(アロジュ・コールマン)選手が発表した。

どちらも難易度が高いため、多くの選手が使うようになったのは2000年代になってからとのこと。

Sola
説明を読んでも想像がつかなくて…。
画面で見ても、すごすぎてすごいことしか分からなさそうです。

実は杉野選手は以前精神面が弱く、勝負どころでのミスが目立っていたそうです。

杉野選手を指導している村田コーチ曰く

東京オリンピック以降、杉野が苦しんでいる姿を近くでずっと見てきました。強くなっているはずなのに、なぜ試合当日のパフォーマンスでは実力を発揮できないのか、そばにいるのに助けることもできず、私自身もわだかまりみたいなものを感じていました。
鹿屋体育大学

が、内村航平さんや徳洲会の米田功監督といったオリンピック金メダリストから「秘密」の心構えを学んだことで、オリンピック代表の座をつかめるメンタルを手に入れたようです。

 

大舞台で実力を発揮するには、やっぱりメンタルが重要ですよね。

スケートのエース高橋大輔選手も、メンタルで悩んだ1人だそうですよ。

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こちらの記事では、高橋大輔選手のエピソードやコメントから、豆腐メンタル克服のポイントをまとめてみました。

 

高校

杉野選手の出身高校は、福井県立鯖江高等学校です。

鯖江市は「体操のまち」として知られているそうで、その中でも体操振興の中心・福井県の体操種目の強化拠点となっているのが鯖江高等学校だそうです。

鯖江高等学校には田野辺満監督という有名な監督がいて、女子の宮田笙子選手も田辺監督の指導を受けるために地元京都からこちらに移ったそうですよ。

杉野選手も、体操を磨くために県外の学校を選んだのだと思われます。

Sola
この名門校で体操の技術を磨いたことで、鹿屋体育大学で才能が一気に開花したんですね!

鯖江高等学校出身の有名人は、こちらの方たちです。

  • 後藤光貴(元野球選手)
  • 酒井優衣(長距離走選手)
  • 杉永政信(元野球選手)
  • 梅田尚通(元プロ野球選手)
  • 牧田明久(プロ野球選手)

体操だけでなく、スポーツ全般に力を入れている学校なのでしょうね。

 

中学

杉野選手の出身中学校は、津市立東観中学校です。

中学生になっても、久居体操クラブに通いながら体操を頑張っていたのでしょう。

小学校

杉野選手の出身小学校は、津市立村主小学校です。

杉野選手が体操に出会ったのは6歳の時だそうです。

小学1年生から中学校を卒業するまで、地元津市の久居体操クラブに通っていました。

 

村主小学校では、パリオリンピックに出場する杉野選手を応援するため、パブリックビューイングを開催するそうです。

村主小学校HP

先生たちや後輩、会場に集まったみなさんの応援の声とパワーが、パリの杉野選手まで届きますように!

テレビの画面越しに、Solaも全力で応援します!!

フタバのフリーイラスト

 

幼稚園

杉野選手の出身幼稚園は、幼児舎大川です。

実は、体操女子日本代表の岡村真選手も同じ幼児舎大川の後輩です。

 

5月21日 卒園児の2名が快挙です。パリ5輪代表として、幼児舎大川ちゅうりっぷ組卒園児 杉野 正尭(たかあき)選手と岡村真(まな)選手が選ばれました。小さかったお二人がとってもとっても大きく立派にご成長され、テレビ中継を見ながら涙がでました。今後のご活躍も応援しています。
大川幼稚園

そんな岡村真選手の記事はこちらです。

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2人もオリンピック選手が出るなんてすごい!

幼児舎大川の入園希望者数が爆増するかもしれませんね。

 

ただ、杉野選手は幼児舎大川の姉妹園である津西幼稚園出身という情報もあるんですよね。

津西幼稚園や幼児舎大川を経営している学校法人大川学園の学園長である大川吉崇さんのブログには

「2月15日、津西幼稚園に1人の青年が、『卒園生です』と訪れてくれた。」

とあり、それが杉野選手なんです。

でも、大川幼稚園のHPには上にあるように「幼児舎大川ちゅうりっぷ組卒園児」とはっきり書いてあるし…。

Sola
うーん、2つの幼稚園に通っていたとは思えないし、謎ですね。

 

杉野正尭選手の家族

杉野選手は、両親と2人の兄の合計5人家族です。

父親

杉野選手の父親は、杉野忠さんです。

2015年、がんのため50歳という若さで亡くなったそうです。

忠さんは一番の応援者だったそうで、10年ほどの闘病生活の間も子供たちの大会には応援に駆け付けていたとか。

Sola
がんの闘病は、体力的にも精神的にも本当につらいはず。
そんな中応援に来てくれるお父さんの姿は、杉野選手たちにものすごいパワーだったでしょうね。

杉野選手の尊敬する人物は父親の忠さんだそうです。

母親

杉野選手の母親は、杉野祥子さんです。

祥子さんももちろん杉野選手のことを応援していて、NHK杯後のパリオリンピック代表発表で杉野選手の名前が読み上げられると、涙を流して喜んだそうです。

Sola
杉野選手が努力している姿を間近で見ていた祥子さん。
東京オリンピックで僅差で代表の切符をつかめなかった悔しさを見ているだけに、今回の代表選出は本当に嬉しかったでしょうね!

父親忠さんの闘病生活を支え、忠さんが亡くなってからは1人で杉野選手と2人の兄を育ててきた祥子さん。

強くならざるを得なかったのだとは思いますが、母親としても女性としても強い方なのではないかと思います。

 

2人の兄

杉野選手には、4歳年上と2歳年上のお兄さんがいます。

Sola
えーと…多分赤いジャージが杉野選手で、白いジャージの2人がお兄さんたちだと思うのですが…
2人は双子と言われても信じてしまいそうなくらい、似てますね。

2人とも体操をやっていて、杉野選手はお兄さんの影響で6歳の時に体操を始めたそうです。

長男

4歳年上の長男は杉野忠尭(ふみあき)さんです。

相好体操クラブ

1995年1月26日生まれで、小学生の時に体操を始めたそうです。

杉野選手と同じく鯖江高校から鹿屋体育大学に進学し、2024年7月現在は相好体操クラブの鈴鹿教室でコーチをされています。

また、以前は社会人競技部に所属し、コーチ兼選手だったようです。

Sola
なんの偶然か、岡村真選手は小学1年生から相好体操クラブに通っていて、現在も所属しています。

2022年に結婚して、翌年に長男が生まれています。

やっぱり父親が体操クラブのコーチをしていたら、お子さんも体操の道に進むのでしょうか?

 

あの内村航平選手も、実家が体操教室だったため自然と鉄棒にぶら下がったり、マットで前転したりしていたそうです。

ただ、内村選手の場合はとんでもなく特殊な自宅環境で、体操教室なのに頻繁にカラオケボックスと間違われたそうですが…。

詳しくはこちらの記事をどうぞ。

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杉野選手の将来の夢は「鹿屋体育大学に戻り体操部の指導」だそうなので、忠尭さんのお子さんのコーチが杉野選手なんてことも実現するかもしれません。

そして、オリンピック代表になるなど日本体操界を引っ張る存在になったりして。

十数年後、本当に実現していたらいいですね。

 

次男

2歳年上の次男は杉野広尭(ひろあき)さんです。

広尭さんは、鯖江高校卒業後に慶応義塾大学に進学し、大学院で博士課程に進んだ後現在は特任助教授をされているそうです。

【特任助教授】
特定のプロジェクトのために一時的に雇用される任期付きのポストのこと。
プロジェクト終了とともに雇用も終わる立場ですが、大きなプロジェクトに関われば、アピールするに足る経験を積むことができるそうです。

 

広尭さんも小学生の時から体操をやっていて、インターハイで個人決勝進出などの成績を残しています。

が、競技をしながら個人の能力差やセンスとは何なのかに興味を持ち、脳神経科学の研究の道に進んだそうです。

Sola
杉野選手も卒論で体操の技について研究していたし、兄弟そろって分析や研究者肌なのかもしれませんね。

もしかしたら、研究の成果が杉野選手の練習に活かされていたりして?

 

お兄さん2人も、杉野選手がオリンピック代表に内定した時はX(旧Twitter)に喜びの声を投稿していました。

兄弟仲がとてもいいんですね!

 

まとめ

今回は、パリオリンピック体操男子日本代表の杉野正尭選手について調べてみました。

  • 杉野選手の学歴は、幼児舎大川・津市立村主小学校・津市立東観中学校・福井県立鯖江高等学校・鹿屋体育大学および大学院(修士課程)
  • 小学生の時に体操に出会い、中学まで地元の久居体操クラブに通っていた
  • 父親忠さんは2015年にがんでなくなったが、闘病中も杉野兄弟の大会の応援に駆け付けていた
  • 母親祥子さんは夫の闘病生活を支え、1人で3人の兄弟を育てるなど母親として女性として芯の強い方だと思われる
  • 杉野選手には4歳年上の長男忠尭(ふみあき)さんと、2歳年上の広尭(ひろあき)さんの2人の兄がいて、2人の影響で杉野選手は体操を始めた
  • 忠尭さんは現在体操クラブのコーチをしている
  • 広尭さんは大学の特任助教授をしている

パリオリンピックでも、きっと最高の演技を見せていただけると信じています。

応援しています!