11月12日放送【情熱大陸】に、ストリートアーティスト西野達さんが出演します。
過去の作品や、日本人なら知らない人はいないであろう岡本太郎氏との共通点について、まとめてみました。
(岡本太郎氏との共通点は、勝手に言っているだけです・汗)
写真 ART360°
西野達さんのプロフィール
生年月日: 1960年
出身地: 愛知県名古屋市
職業: ストリートアーティスト
武蔵野美術大学を卒業する頃、アートに対して袋小路に入り始めたという西野さん。
アートから距離を置いていましたが、アートという概念が生まれたヨーロッパへ行って、本物の作品を見ながら美術史のおさらいをしようと考えたそうです。
往復の旅費も出してくれるし、飢え死にはしないと思ったので、ドイツのお寿司屋さんに就職。
が、朝から夜までお寿司屋さんで働いていると、制作意欲が湧いてきたそうです。
そして、現地の美大に合格します。
日本では絵を描いていましたが、違うアプローチでアートに取り組むため、写真・彫刻・パフォーマンスを始めたそうです。
Solaが尊敬している人は
「自分の人生に対して違和感を感じるかどうか。感じた違和感を活かせるか」
を大切にしています。
違和感ってつまり、今やっていることが面白い!めっちゃ満足!と思えるかどうか。
5年後に同じことをしている自分を想像した時、ワクワクするかどうか。
そして、もし違和感を感じたとしたら、背を向けずに、違和感のない人生にするための行動を起こせるかどうか。
同じことをしていたら、明日も来年も5年後も、同じように違和感を感じ続けるだけなのですから。
西野さんの場合
アートに対して袋小路に入る 違和感
↓ 以下、違和感を越えるための行動
アートから距離を置く
↓
ドイツ行き
↓
現地の美大入学
↓
絵ではなく、写真・彫刻・パフォーマンスを始める
人間にはホメオスタシス(恒常性、現状を維持しようとする)があります。
だから、仮に違和感を感じても
今は100%満足ではないけれど、少なくとも安定しているんだから今のままにしておこう…
という意識が無意識に働きます。
たとえばこういう感じです。
↓ ホメオスタシスが働く
いやいや、転職したって今より条件のいい会社が見つかるか分からないし。
とりあえず今は、家族を養うことができてるんだし。
↓ 行動しない
転職なんてやめておこう。
が、西野さんは自分の行動を変えました。
その結果制作意欲が戻り、現地の美大に進み、制作内容も変わった、と。
西野さんの生きるエネルギーのようなものを感じるエピソードですね。
今までの主な作品・実績
マーライオンホテル
写真 ARTalk
2011年 シンガポール
シンガポールの、本物のあのマーライオンを壁で囲い、ホテルの部屋にしたという作品。
世界各地で行ってきた「ホテルプロジェクト」の一環で、20時~9時まではホテルとして泊まれて、日中は一般に無料で公開して中を見れるようになっていたそうです。
ちなみに、2ヶ月分の宿泊予約は、予約開始1時間で完売したとか…。
Discovering Columbus
写真 TOKYO ART BEAT
2012年 ニューヨーク
ニューヨーク・マンハッタンに位置する巨大なコロンブス像を囲い込み、通常では見上げるだけだったその姿を間近で目撃できる空間を創出したもの。
別府タワー
2017年 大分県別府
他にも、「マーライオンホテル」同様、夜間はホテルとして使用できる「油屋ホテル」なども手掛けました。
達仏
写真 津奈木町
2017年 熊本、つなぎ美術館
立っている木に33体の仏像が直接彫られているため、季節や太陽の光、木の成長によって見え方が変わるそう。
2017年時点では、パブリックコレクションによる常設展示としては日本唯一、世界でもフランスのナントに次いで2か所目だったそうです。
A Doll’s House
写真 TOKYO ART BEAT
2018年 パリ
本来なら小さなおもちゃであるドールハウスが巨大化し、プライベートな空間であるはずの家が人々を招き入れるゲートとなりました。
東急歌舞伎町タワー
写真 KABUKICHO TOWER TOKYO
2023年 新宿
新宿で実際に使われていた家具や日常品を使用し、約320年前の江戸時代の宿場開設から綿々と続く新宿の歴史を取り込んだ作品。
西野さんの貴重かつ希少な屋内恒久設置作品だそうです。
海外ではアメリカ・マンハッタン、シンガポール、ロシアのエルミタージュ美術館など、主にヨーロッパを中心に活動しています。
日本でも「あいちトリエンナーレ」、銀座エルメスでの「天上のシェリー」、「西野達in別府」にてプロジェクトを数々開催しています。
2018年『第68回芸術選奨美術部門文部科学大臣賞』を受賞しました。
岡本太郎氏に似ている、を考える
※ あくまでもSolaの勝手な意見なので悪しからず(汗)
岡本太郎氏のプロフィール
写真 Wikipedia
漫画家の父岡本一平と、小説家の母かの子との間に長男として生まれました。
幼少時から絵が好きでしたが、中学に入った頃から「何のために描くのか」という疑問を感じるようになりました。
慶應義塾普通部を卒業後、画家になる事に迷いながらも、東京美術学校へ進学しました。
1930年、父親の仕事の都合でパリに移り、語学や美学を学びながら「何のために描くのか」という疑問に対する答えを得るために絵とは関係ない民俗学を学んだそうです。
たまたま立ち寄った画廊でピカソの「水差しと果物鉢」をみて強い衝撃を受け、ピカソを越えることを目標に絵画制作に打ち込むようになりました。
岡本太郎氏にとって芸術は限られた人だけが創作する特別なものではなく、誰もが鑑賞すると共に創作者になることができると考えていたそうです。
そのため、観るだけではなく触れることができる作品、多くの人の目に触れるパブリックアートも多く作りました。
作品がガラス越しに展示されることを嫌い、たとえば
その後、関係者がガラス越しでの展示を提案したのですが、岡本太郎氏は激怒。
「傷がつけば、俺が自ら直してやる」
と言ったそうです。
露出した状態での展示は岡本太郎氏の死後も継承されています。
渋谷マークシティの連絡通路に設置された「明日の神話」という壁画は、電車の振動や乗降者、気温や湿度の変化にもさらされるという芸術作品の保管場所としては過酷な環境にもかかわらず、防護措置も施されずに露出して展示されています。
ちなみに、露出展示の影響にはこんなものがあります。
原爆の炎に焼かれながら、その惨禍に打ち克つ人間の生命の輝きを幅30メートルの圧倒的スケールで描き出した作品です。
その片隅に、福島第一原発4棟の原子炉建屋と、キノコ雲が描かれていたのです。
岡本太郎には予知能力が?!
と思われたのもつかの間、実はChim↑Pom(チンポム)という6人の若手アーティスト軍団による「付け足し」でした。
写真 Numero
ちなみにこの付け足しは、壁に絵を立てかけて粘着力の弱いテープでくっつけた程度なので、絵は一切傷ついていません。
岡本太郎氏も、原爆と原発、同じ原子力が原因で人間の手によって引き起こされた事象に対するメッセージということで、ニヤリとしているのかもしれません。
存命なら、これに対してなんらかの「アートを介した対応」があったのかな、なんて思ってしまいます。
2023年2月23日、愛知県美術館で展示中の「太陽の塔」のひな型が観覧者に壊され、一部損傷するという事件がありました。
これに関しては、岡本太郎氏も怒るのではないかと推測します。
「傷がつけば、俺が自ら直してやる」
というのは、実際に触ることで観覧者が自分のイマジネーションを膨らませるとか、そういうことのために傷がついた場合のことを言っているのだと思います。
破壊行為を良しとしたのではないはず。
犯人にはしっかり反省してほしいですね。
岡本太郎氏と西野達さんの共通点
※ くどいようですが、Solaの私見です。
共通点は3つあります。
1つめ:違和感を感じ、違和感を大切にする
西野さんの場合は、アートに対して袋小路に入ったということ。
岡本太郎氏の場合は、なんのために描くのか、という疑問。
どちらも、真剣に向き合っているからこそ湧いてくる疑問や問題であり、背を向けずに真剣に向き合ったからそこを越えて高みに進むことができたのだと思います。
2つめ:露出展示
西野さんの場合は、普段はあまり芸術に関心をもっていない一般の人々にアートの可能性を問いかけるため。
想像力は美術館などのような限られた場所の中だけではなく、日常のあらゆるところにある。
だから、ギャラリーのような閉じた空間ではなく、屋外に作品を置き、観客がアートについて考える機会の日常化を狙ったのだそうです。
岡本太郎氏の場合は、すでに書いたように、芸術は限られた人だけが創作する特別なものではなく、誰もが鑑賞すると共に創作者になることができると考えていたからです。
2人に共通する狙いはこれ↓ではないでしょうか。
間近でいろいろな角度から見る、触って感触を確かめる。
そこからイマジネーションが湧く。
文字通り芸術作品に触れることで、新しい創造・インスピレーションに繋がる。
3つめ:2人にとっての「芸術」
西野さんの芸術に対する認識がこちらです。
流行を追っかけたらアーティストじゃないと思ってる。
今の最先端のことをやったらアートじゃなくて、それはデザインになる。
アートとは目先の流行を追うのではなくて、まだ誰も経験した事も見た事もないものを作る事なんだ。
だから時代を変えてきたアーティストは最初は理解されない事が多いよね。
最初のものだから、まだ人々がついてこられない。
死んでから、あるいは長い時代を経てからアーティストが認められることがあるのは、そういう理由からなんだ。
(ARTalk)
人間の想像力の拡張が人類におけるアートの存在理由だと考えていますが、個々人の想像力の拡張が地域や国家の想像力へ影響を与え、ひいては人類の進むべき道を決定していきます。
その意味で、芸術が世界を変えうる力を持つというのは正しいのです。
(ANOMALY)
岡本太郎氏の芸術に対する認識がこちらです。
【芸術は呪術である】
芸術行為とは、共通の価値判断が成り立たない、自分自身にすらわからないものに賭けることだ。
そして、理解されない、「自分ひとりにしか働かないマジナイ」であっても、「それがもしいったん動き出せば、社会を根底からひっくり返すのだ」。
(デザインどころ)
芸術は、ちょうど毎日の食べものと同じように、人間の生命にとって欠くことのできない、絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
(中略)
すべての人が現在、瞬間瞬間の生きがい、自信を持たなければいけない、その喜びが芸術であり、表現されたものが芸術作品なのです。
(『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』 著者:岡本太郎 出版社:光文社)
つまり、2人にとって芸術とは、誰かと共通の認識・判断・経験に基づくものではなく、人に理解されるものでもなく、新しいもののようです。
そして、時代をも変えてしまうほどのエネルギー・パワーを秘めいている、と。
アートを生み出すための想像力、作品を観て触れて湧き出すインスピレーションは、1人の人間にとっても、人類にとっても欠かせないもの。
だからこそ、ガラスケースの中に閉じ込めて限られた人だけの特別な物にしてしまうのではなく、日常の一部にする必要があったのでしょう。
「芸術」「アート」というと、整った・美しい・誰が見ても価値があるものと考えてしまいがちですが、身構えすぎているのかも…。
鼻歌を歌うように落書きをするように、もっと楽な気持ちで描いたりしてもいいのかもしれませんね。
ちなみに、〇〇の作品がオークションで〇億円で落札された!みたいなニュースを見るたびに考えるのが
もちろんそういう金額がつくということは、それだけの価値があるということですけど、それって「資産」としての価値なんですよね。
所有者が1人で眺めて楽しんでいればまだいいけれど、金庫に厳重に保管されているだけだとしたら、形を変えた札束なんですよ。
なんの想像力もインスピレーションも与えない。
そういう状態って、芸術作品と言えるんでしょうか…?
露出展示は、作品の劣化という問題はあるけれど、より生々しい影響を人に与えるのがすごいですよね。
それに、そういう〇億円の作品と、自分が好きなアーティストの数千円の作品どちらが好きか聞かれたら、数千円の方かもしれないんですよね。
まさに、数年前に流行った
っていうあれです。
その評価だって、ずっと変わらないものではないし。
何が言いたいかって
鑑賞する側にとっても、周りやその世界で権力のある人が評価しているからと言って、自分にとっても価値がなければいけないわけではない。
自由に意見を言っていいんですよね!
同〆ればいいのか分からなくなってきましたが(汗)
もっと気軽に、積極的に芸術に触れるようになったら、世の中もっとよくなるのかな?と思ったりしたのでした。
↓↓↓
人間の想像力の拡張が人類におけるアートの存在理由だと考えていますが、個々人の想像力の拡張が地域や国家の想像力へ影響を与え、ひいては人類の進むべき道を決定していきます。
その意味で、芸術が世界を変えうる力を持つというのは正しいのです。
(ANOMALY)
まとめ
西野達さんの経歴・実績と、日本が誇る芸術家岡本太郎氏との共通点についてまとめてみました。
表現する言葉は違っても、2人とも同じような生き方をし、同じようなことを言っているのではないかと思いました。